カナダのサスカトゥーンにある、約300平方メートルの敷地にて製作されるDingwallの楽器は、プロフェッショナルなスタッフによるチームワークの素晴らしさの結晶です。
工房の雰囲気は非常にアットホームながらも、楽器を製作する時には、非常に張りつめたものとなり、全ての送り出される楽器には、それを楽器の弾き手は”Soul”と呼ぶものになりますが、”愛情”がこめられています。
Dingwallの楽器のクオリティ、感覚、作りの丁寧さ、どのどこをとっても一級品であると自負しており、弾き手を圧倒するような感銘を与える理由になっていますが、それぞれが深いレベルでの密接に結びついているからです。
あなたは、必ず最良の楽器を手にするでしょうし、それによって最良の結果を音楽にもたらすことを可能にもするでしょう。
Dingwall Profile
1986年から3年ほど、卓越した楽器製作と金属加工技術を持ったAlfred Wilsonの元で修行するところからSheldon Dingwallのキャリアーはスタートします。
1988年に楽器店のプライベートブランドとして始まったDingwall Designer Guitarsは、アメリカや香港の楽器メーカーのネックやボディ製作や、他のカスタム工房がそうであるようにリペアが初期の主な仕事でした。
1988年から1995年まで、6000本を超える楽器を修理した履歴が残っており、この期間に得た経験は、Sheldonの、安定したクオリティを持ち、メンテナンスフリーな楽器を製作するという目標にとって、大きなフィードバックとなっています。
工房を設立して程なく、彼の下に多弦ベースの製作依頼が舞い込むようになりましたが、このころは5弦ベースですら、色物と見られていた時期であり、それらの多くは、今日でも依然とした課題である、テンションとトーンに問題を抱えていました。
Sheldonは、その問題の解決方法をピアノの構造に求め、様々な試行錯誤の中から、最適なスケールというものを導きだすという方法論を編み出すことに成功しました(彼は、これを”Speaking Length”と呼んでいます)。
しかし、このアイディアの応用を試みたものの、結果としては、単に誰にとっても弾きにくい楽器しか産まれず、この革新的なアイディアは、一旦は引き出しにしまわれる事となりました。
1992年のNAMMで、Fanned-Fret Systemの開発者である、Ralph Novaxに出会った瞬間に、Sheldonは”これこそ自分が求めているものに他ならない”と、その場で採用する事を決意します。クリアーな低域、パンチのある高音弦、そして別次元の弾きやすさとバランスの良さ等、全てを兼ね備えている楽器製作の為の概念がそこにはありました。
Dingwall初のFanned-Fret Systemを搭載したVoodoo Bassは、当初ヘッドレスデザインのNeck-thruとして製作されましたが、僅かな時を経て、現在のようなデザインを持ったBolt-onの楽器へと変更され、翌年のNAMMを契機とし、かつて無いほどの驚きと賞賛をもって北米の市場に受け入れられる事となります。
1994年のNAMMにおいて、Novaxとブースをシェアしますが、この時にSheldonは、Dingwallの重要なアドバイザー/エンドーサーであるLee Sklarに出会う事となります。
一方、ドイツ人のプロデューサー、Holger MunchによってMusic Messeを介してヨーロッパ市場に紹介されたDingwallは、北米市場以上に好意をもって受け入れられ、1996年までに製作された楽器は、同時にヨーロッパ市場にも数多く流通することとなりました。
1996年は色々な意味でDingwallの転機となります。
2月に工房を移転し、Bass Player誌による、現在でも語り継がれている、5弦ベースばかりを50本弾き比べした企画では、”The B-string sounds like the voice of God(Low-Bのサウンドは神の声そのもの)!”と評されるなど、他の追随を許さない素晴らしさと、個性を兼ね備えるものとして位置づけられましたが、同年10月には、火災によって工房が全焼するという悪夢にも見舞われます。
14ヶ月後、Glenn MacdougallとByron Olsenの尽力によって、工房を再建したSheldonは、あらたにCAD(Computer Aided Design)を導入した新しい楽器製作方法を導入し、これにより製作精度を飛躍的に向上させることに成功します(この頃(1998年)、1ピックアップの楽器にSheldon流の解釈を加えたZ2が正規モデルに加わります)。
2000年に入り、現在でもDingwallのユニークな特徴の1つである、マグネットによるバッテリーカバーを導入すると同時に、After Burner Seriesをリリースし、同年のNAMMでは、その初日だけで展示した全ての楽器を売り切るという快挙を成し遂げました。
2001年には新たにCNCを導入します。このCNCによる精度の高さと、腕のある職人の手の融合は、現在のハイエンド楽器製作方法の主流の1つではありますが、この方法論を早くから導入し、成功に導いた工房がDingwallです。
2002年には、新たにフラッグシップとしてPrima Artist Seriesを世に送りだします。このCNCの限界に挑戦したモデルは、依然として職人の経験と勘が、その成功の源流にあってこそ完成される楽器であり、この手法の最高傑作と評されています。また、同年、Z SeriesとAfter Burner Iの中間的な位置づけのモデルとしてAfter Burner IIをラインに加えます。
この頃、Sheldonは、音の心臓部を自らの手で完璧にコントロールすべく、新しいオリジナルピックアップの開発にも着手し、FD Seriesを生み出して以降、OEMで多数のピックアップを製作しています。
多方面で非常に高い評価を得、革新的ながら完成されたJazz Bass Styleの楽器として評価されているSuper Jは2005年に登場します。Sheldonは、このモデルを製作するにあたり、従来のDingwallが採用している通常のFanned-Fretのスケールとは異なる、J Styleの楽器に最適なスケールを、念入りなリサーチと”逆算”によって決定します。
伝統的なJazz Bass Styleのボディデザインの維持と、革新的なSheldonのアイディアの融合は困難を伴いましたが、彼の類い稀なる努力と強い意志によって、見事としか言いようの無い形で、Super Jは、それまでのJazz Bass Styleの楽器が持つ欠点のほぼ全てを解消した楽器となりました。
Super Jは、Fanned-Fret Systemを、より現実的かつ、具体性のあるものにする為の100近くものアイディアの中から選ばれた美しいヘッドストック、体にフィットするボディデザイン、普通のJazz Bass Styleの楽器を弾いているプレイヤーが容易にスイッチできるフィンガリングを可能にした指板、音楽的なサスティーンの短さと力強さのあるG弦、透明感とVintageの楽器に迫るリアリティ、そしてサスティーンの長い低域等、必要とされる要素の全てを備えた別格の楽器となっています。
2006年から2008年までは、それまでのラインのマイナーチェンジをはかりつつ、あらたにZ3 Series、そして待望のSuper J5をリリースすることとなりました。
そして、2010年には、初のSignature Modelとして盟友Lee SklarのLSSを発売します。
安定感があり、そしてどのような音楽や場面でも常に同じように全てのプレイヤーが、軽量で、その音楽性や技量を余す事無く発揮できる楽器を製作するというものがDingwall Designer Guitarsのコンセプトであり、その為の、現状にとどまらず、挑戦し続ける姿勢に満ちあふれているのがDingwallです。
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